ポケモンカードをプレイするためにはデッキが必要です。
そのため、プレイヤーは自分で作ったり真似したり借りたりして、デッキを用意します。
でも、デッキとはそもそも何なのでしょうか?

たねポケモンを1枚以上含む60枚のカードの集まりで、基本エネルギー以外の同名のカードは4枚まで。
これが、ルールブックが言うところの「デッキ」です。

しかしこれは定義でしかありません。
プレイヤーにとって、デッキとはどんな意味を持つのでしょうか?


以降は、私個人の考え方で進行します。

私は、カードゲームを「数学的なゲームに心理的要素を加えたもの」と捉えています。
ポケカ、トランプ、他のTCGも含めて、確率などの数学的要素に支配されつつ、ゲームの結果はプレイヤーの判断によって左右されます。
プレイヤーの判断は確率計算など数学的根拠から下されることもあれば、気分や心理戦、あるいは勘違いによる心理的な側面で決定されることもあります。
よって、カードゲームは数学的でありつつも、それだけではないと考えています。

さて。デッキとは、勝利という目的を達成するための手段です。
命題に対する解法※と言い換えることもできます。
※完全な証明はできないので、解法の試みと言うべきかもしれません

プレイヤーは、各々の仮説に基づき勝利を得るためのデッキを作成します。
学術的に考えるならば、既存の研究成果である他のプレイヤーのデッキも積極的に取り入れるべきです。
論文を読むように入賞デッキを試し、必要があれば引用して自らのデッキの取り入れ、間違いと思えば採用しない。
自分の研究成果たるデッキを作成するため、他人の研究成果を最大限に利用するべきです。
(あるいは、既存のデッキを完成形として認め、同じものを使用するべきです。)

カードゲームの数学的側面に則れば、試行錯誤段階のデッキコピーも、結論としての同じデッキ使用も肯定します。

ただし、カードゲームの心理的側面は必ずしもそれを肯定しません。
私にしても原則は上記ですが、デッキを自らの作品であったり相棒と考えている節を否定できません。
芸術作品で模倣は厳禁ですし、相棒が他人から生まれたのでは不服でしょう。
デッキにオリジナリティを重視したり、コピーデッキを認めない人はこの考えが強いのだと思います。

私の原則はあくまでも数学的側面にあって、心理的な側面はノイズとして取り除くべきものだと認識しています。
しかし、他人が心理的な側面を追うことが間違いだとは思いません。
(オリジナリティを過度に追求しながら、勝てないからと癇癪を起すなら咎めます。目的がブレています。)


さて、あなたにとってデッキとはどんな存在ですか?

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